デザイニング・インターフェース —パターンによる実践的インタラクションデザイン
任天堂の岩田社長曰く、「生活に必要なものなら、説明書を読んで皆使おうとするけど、ゲームは娯楽だから、説明書を隅々まで読んで理解しようとはしてくれない。だから説明書を読まなくても遊べるようにデザインしなければならない。それができるっていうのは、実はすごいことなんですよね。」と。実際任天堂のあるゲームを中古で買ったら説明書がついてこなかったんだけど、はじめにチュートリアルというか、練習ステージがあって、必要な操作はそこで覚えられるようになってる。「修行」的なニュアンスでゲームのお話の中に取り込んであって、作業感を減らす工夫もしてある。中古で買う層を意識してこのステージがあるのでは思いたくなるような気の利きよう。やはりデザインに必要なのは人の行動をよく観察することだ。この本では非常に多くのパターンが網羅されていて、僕はそういうカテゴライズとかジャーゴンが結構好きなので(悪い癖)、興味深く読んでいる。ipodパターンは「1ウィンドウでのドリルダウン(one-window drilldown)」と言うそうだ。
インターフェースデザイン、という言葉はよく耳にする(もう先端分野では下火かも)が、単に表面のかっこよさとかアフォーダンスがどうとかだけでなく、シーケンスのデザインの重要性を考えさせられる。まず人は最初にどこを見て、何をするか、それに対してどのような選択肢を用意し、答えを返すのか。デザイナーが「これがいい」と思うものだけでなく、慣用的に使われているもの、異なる文化背景、異なる身体を考慮しなければならない。ビジュアルによるスケッチが時には考えが限定されてしまう可能性だってある。抽象的に考えられる力、分類する力を鍛えなければならない。
すごいことをするようになればなるほど普通になる、とはよく言われることだが、最近はそういう普通のすごいことに興味を持つようになった。今回結構悩みながらやっとprocessingでdrag & dropのデータ入れ替えに成功した。気づいてみれば簡単なことなんだけど、元々プログラミングの素養がない僕にとっては難しかった。かっこいいグラフィックや面白い動きをするコードはよくwebで公開されてるんだけど、こういう渋いやつはない。体験的には「普通」だし。dragで移す途中に半透明のデータを表示させるのもわざわざコーディングしたんだもんね。そう考えるとosとかってすげーなと。身の回りのものが全部誰かしらの手が加わってできているということを考えた時に感じるクラクラ感と同じ。多分、今のコードはアルゴリズム的に問題あったりするんだろうけど、例えばdrag & dropのもっと面白いエフェクトを試すとか、効果的なインタラクションを考えるラピッドプロトタイピングとか、使いようはあると思う。興味ある方どうぞ。
dragndrop
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