土曜日, 10月 06, 2007

20071006

今月号のstudio voiceにcollect.applyの作品載ってます。55ページ。
2000年代に発売された200枚のディスクガイドで、アルバムの長さを線の長さに変換して、円形に並べた。僕はそのためのコード書いた。もらったリストからxmlファイル作って、processingでグラフィックにして、svg形式で書き出したやつを渡した。データビジュアライズものなんだけど、手作業が加わってて、あんまし硬質な感じじゃなくてピタゴラスとか、ダヴィンチとか、そういう人らの物理とか数学の図っぽい感じに仕上がってて、結構いいんじゃないかと思う。

studio voiceを知ったのは東京で浪人してた時で、初めて買ったのが2001年9月号のwhole earth catalog 2001 in japanてやつ。今も持ってる。本当に高校卒業するまでは現代美術もデザインもクラブカルチャーも全く知らなかったし、多分そのまま一般大学に進んでたら一生知らずにいたんじゃないかと思う。とにかく書かれてることのほとんどが意味わからず、語り口もそれまでの自分が知ってるものとは明らかに違ってた。冒頭の宇川直宏とヤマタカEYEとYUKIの対談なんて、この人達一体何者でどこの世界の話してるんだって感じだった。そっから一気にわかりやすい文系サブカル少年みたいになっていく訳だけど、多分一般的にはかなりそういうのに目覚めるのにしては遅かったと思う。予備校ではその辺はリテラシーとして当然になってるから、やべーってなってどっぷりそっち浸かっちゃって、皆が普通に空気みたいに触れてるものを知識ベースで入れ込みすぎたせいで逆にださくなる現象に陥ってまた悩む訳だけど。

そんなことをバイトの後に本屋寄った帰り道で思ってたんだけど、今日見つけた道がすごくよかった。揖斐川はドナウ側説をより強固にした。夏にスイス村ってとこ行って来て、スイス的な要素はゼロだと思うんだけど、何かそこをスイスだと呼びたくなる気持ちはすごくわかったのと同じ。

何年か前の卒展で、森岡って先生が大垣のブラジル人向けスーパーの色とか造りとか、店員のお姉さんが無駄に美人だとか、商店街に売ってる変な生活用品とかの雰囲気を指して「グランドゥール」って言ってたのが結構気に入ってて、小手先で真似できない本物(必ずしも良いとは限らない)から滲み出る質感っていうか、蓄積された時間とか文化とか圧倒的な力の働きによって作り上げられたもの、どうしてもそうなってしまうものみたいなのを僕はそう呼ぶようになったんだけど、そんな感じ。いつかこれうまく説明できるようになるかなー。

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