tumblrとかffffound!の反動か文章ばっかり読んでる。黒井千次「石の話」。ものに象徴的な意味を与えたり、そのもののたたずまいに心情を投影させるのがうまい。細かい描写が丁寧。スーパーの袋に入った乾電池の重さ、とかがリアルに感じられる。「夜と光」は深夜ラジオを聴いてる人達が次々に行動を起こしてく話なんだけど、ちょうどその日蛍を見に行ってて、同期についてぼんやり思いを巡らせていたところだった。そんで気になってたスティーヴン・ストロガッツの「SYNC」を図書館で借りる。
ハンス・アビングの「金と芸術ーなぜアーティストは貧乏なのか?」の輪講。政府の助成金などは芸術家に「作品を売る」という気持ちをなくさせ、またステータスも与えるのでそれを欲しがる新規参入の芸術家が増え、結果数が増えすぎて供給過剰が起こり全体の取り分が減る、とか結局助成金も生活費よりかは制作費にまわるので慢性的に貧困であるとか。
芸術家においてはプロとアマの線引きがよくわからない、というのが(経済学的に解釈する場合の)問題としてあった。確かにスポーツだとプロ契約してるかどうか、というのが明確な基準だけど、アートの場合、どっかと何かしらの契約を結んでいるからとか、作品売って食ってるからといって、必ずしもその人を「プロの芸術家」もしくは「本物」という言い方をするとは限らない。
前回の内容とも関わるんだけど、やはり芸術に関して間違った情報や神話が蔓延していて、いつ諦めたらいいのかがわからないとか、難しいなと思う。「好きを仕事にする」とかでも問題だと思うんだけど、信じていればいつか報われる、と思ってずっと過ごしてる人もいるだろう。面白いのは、何故この神話が間違っているか、というのは、そういうことが起きないからではなく、稀に起こるからという意見。
思い起こせばサッカーを小学校4年で始めて、6年になる頃には何となく自分の才能の限界みたいなものに気づいてた。それはちゃんと情報が与えられてたから。選抜システムもあったし、もっともっと強いチームと対戦したこともあった。
じゃあアートはどうかというと、コンペを否定し、「売れること」を笑い飛ばし、自分がジャッジされることを徹底的に先延ばしにすることができる。芸術に奉仕することが一番だと考える。これを内的報酬と呼ぶ。芸術家は金銭や名誉などの外的報酬よりも内的報酬を優先しているから(金銭的には)貧乏であるというテーゼに行き着く。つまりは自己満足。自己満足してるからお金はいらない、という人が多い。何でそんなことができるかというと、副業してるとか、家がお金持ちだとか。内的報酬と外的報酬っていう考え方は結構シンプルで目から鱗。
経済学的な観点から言えば、ある職業がずっと儲かってたり貧困だったりというのが続くのはあり得ないそうだ。アートでは食ってけないと皆が思えば、芸術家を目指す人は少なくなり、需要と供給のバランスがとれ、次第に芸術家は好況に向かう、と。でもそんなことが未だかつて起こってないことも作者は知っている。
という訳でかなり複雑なんだけど、経済学からアートを眺めてみるのも面白い。日本と海外での状況の違いもあるし。終わった頃にもっかいまとめるつもり。
友達に信濃川日出雄のfineって漫画読ませてもらって、面白かったけど落ち込んだ。救いがあるように思える結末だけど、実際の場合どうなんだろ。結局神話を強化する形。アビング本の方がまだ救いがあるのかな。すっきり諦められる方がいい気もする。何かもっと、ないのかな。今の人間のあり方って。
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